私の初めての賃金労働はあまりに過酷な環境だった。日給1万という見てくれの良い条件に踊らされ、たどり着いたのは大粒の雨と、己のみが絶対正義としんじてやまない悲しき老人が奏でる聞くに絶えない交響曲の演奏会場であった。彼の話す言葉には主語が欠落している。その上、彼の思惑と少しでも異なった行動をすれば急かすような、そして呆れたような言葉を吐く。
引越しバイトが始まって30分、友人は戦力外通告を受けた。その後も私が「お前、日本語分かるか?」と、2ch民もびっくりの煽り文句を浴びせられたかと思えば、矛盾した指摘をされた別の友人はついにキレ返した。混沌である。
精神的にも肉体的にも限界の近い我々にトドメを刺したのは、’引越し先の4階までエレベーターがない’という事実であった。帰ろうと思った。急斜面の階段を、重すぎる家具を持って数十往復した。身体からの悲鳴、心からの悲鳴に耳を塞ぎ、我々はやり遂げたのだ。
やまない雨はないとはよく言ったものだ。シャバに戻れる時間が近づくにつれ、雨は次第に弱まった。
解放された後に向かった温泉でのサウナは、今までにないほど気持ち良く整った。水風呂に浸かると身体があの冷たい雨を思い出す。だが、心はあの時と違い暖かかった。
これほどの環境での労働が1万円の価値に見合うかどうかは分からない。だが、歴史における労働者たちの心境の一欠片に触れられた、そんな気がした。
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