【Q.男女の友情は成立するか】

戯言シリーズ

〈世界の未解決問題〉
・リーマン仮説
・ポアンカレ予想
・ホッジ予想
・バーチ、スウィンナートン=ダイアー予想
・P対NP問題
・ヤン・ミルズ理論
・ナヴィエ-ストークス方程式
・男女の友情問題

なお、これらの問題には、成功報酬としてそれぞれ100万ドルの懸賞金が掛けられているという…


というわけで、本記事では現代を生きる我々の永遠のテーマ、「男女の友情は成立するか問題」について真剣に考察していく。そして主の最終的な結論を表明しようと思う。
今宵、あなたは歴史の目撃者となる。(大嘘)

1.男とは/女とは(定義)

「こんな確認いらねーだろ!」と思うかもしれないが、近年は性の多様化というやつでなにかとここら辺はややこしいのだ。あらかじめ断っておこう。主は性別は2つしかないと思っている。遺伝情報のうち、性別の決定に関わる情報を持つ性染色体が「XY」のペアなのが男性、「XX」なのが女性だ。これ以上でも以下でもない。本記事では生物学的な男女を扱っていくのであしからず!


2.そもそも

さて、早速議論に取り掛かりたいところだが、もう一つ確認しておかなくてはならないことがある。
それは、「男性と女性は同じ生物である」ということだ。この認識があるとないとでは、考察も大きくズレてしまう。よく、「男性と女性は全く異なる生物である」という真逆の意見が見受けられるが、これが誤りであることは科学的にほぼ証明されている。

もちろん、外性器や内性器、性染色体、性ホルモン分泌などの生物学的特徴に違いはあるがそれは同じ生物としての単なる性別の違い。男女の脳の構造に性差はないという。脳内の橋梁部分(右脳と左脳を連携させる部分)の太さは違うが、それも機能の違いにはつながらない。
(引用:Kampoful life by クラシエの漢方 より)

ではなぜ男女に根本的な違いがあるのか。それは、おそらく脳の使い方の傾向に性差があるからだろう。要は同じ回路を積んでいても、たどる道順が違うことが多いのだ。
先程からところどころ曖昧な言い回しが多いのは、まだ脳に関する研究は発展途上であるということはもちろん、結局は「傾向がある」だけだからだ。男性にも一般的に言う女性的な考え方をする人だっている。その逆もまた然りだ。
つまり、現状、「男性と女性は同じ生物であり、その違いは性別に起因するというよりかは、一個人の特性に起因する」というのが主の見解である。


長い前置きを終え、やっと本題に入れる。
以下、「男女の友情は存在する」とする立場、「男女の友情は成立しない」とする立場の両側面からそれぞれ考察していく。

3.なぜ、男女の友情は存在するのか

まずは、「男女の友情は存在する」とする立場の考えをまとめよう。

大前提、男女間で友情が成立するにはとある条件をクリアしなければならない。それは「互いに恋愛感情がない」ということだ。これがクリアできるか否かがこの難題の最重要ポイントである。

では、互いに恋愛感情がない状態が存在するのはどういうときか。それは、「互いが互いを性別という枠組みにとらわれずに一人の人間として認識できているとき」であろう。これができるかどうかははっきり言って人によるだろう。その場限りの事務的な関係であっても相手を異性として認識する人もいれば、親密な関係にあっても相手を人間として捉えられる人もいる。
どちらが良い悪いでなく、ここで重要なのが、そうできる人もいるということ。つまり、これができる男女が出会って仲良くなれば、男女の友情は成立するといえる。

(引用:「マイナビウーマン」より)

4.なぜ、男女の友情は成立しないのか

否、話はそう簡単ではない。

問いたいのは、「本当に一ミリの恋愛感情もありませんか?」 「全くもって相手を異性として認識していませんか?」ということだ。

断言できる。答えはNo。なぜなら、これができるたとすれば、一生物個体として致命的だからだ。生物は子孫繁栄を本能として抱えている。人間も同様だ。ならば、目の前の異性に異性としての感情がないことは本能に矛盾することとなる。それはありえない。つまり、異性を完全に性別の枠組みを超えて認識することなど不可能なのだ。

しかしながら、瞬間的な関係(プリントを受け渡しするだけ など)や事務的な関係(仕事仲間 など)ならば、相手の異性になんの感情もわかないかもしれない。だが、今回の議題は友情の成立。親密な関係値になったときの話なのだ。


5.それでもなぜ、男女の友情は成立するのか

①結論

ここまで考察してきて、「結論!男女の友情は成立しない!」となりそうな流れだが、
最終的な主の見解は、

男女の友情は成立する

である。

確かに親密な関係の異性に全くの恋愛感情を持たないことは不可能かもしれない。仮に友情が成り立つとしても、その関係性は不安定かもしれない。だが単純な話だ。


相手への恋愛感情<相手への友情ー※

これが成り立つ時、男女の友情は成立するだろう。相手に対して全くの恋愛感情を抱かないのは無理でも、それを上回る友人としての感情があればよいのだ。

②予想される反論

ここで予想される反論は、「裏に少しでも恋愛感情があるならそれは完全な友情と言えないのでは?」などだろう。しかし、心理学の観点からも、人は複数の感情を同時に抱えられるため、恋愛感情と友情を並行して持つことは矛盾しない。そもそも、男女間に限らず、人間関係というのは思っている以上に複雑であり、簡単に言語化することはできない。同性間であっても相手への感情というのは、何も1つや2つで済む話ではない。とすれば、異性間では、たまたま相手へ抱く感情の1つが恋愛感情だっただけで、友情は存在しているといえるだろう。

「そんなの完全な友情じゃない!」と言いたい気持ちもまぁわかる。だが、それは少しばかり「友情」というものを神格化し過ぎではないだろうか。では、同性間ならば完全な友情は成立するかと言われれば、それも難しいだろう。友情は複雑で純粋な感情の上に成り立つものでなく、むしろ異なる感情が共存し、選択と制御によって形作られていくもの。些細な感情があるからといって、それを「完全な友情ではない」と結論づけるのは、友情に対する過度な理想に過ぎるのではないだろうか。

③単純に

また、主にも手で数えられるほどだが異性の友人がいる。彼女たちに恋愛感情は全く無いと思い込んでいるし、実際、恋愛関係に発展しているところなど想像できない(てか失礼だがしたくない)。つまり※が成立している状態である。

というか、本人たちが「私たちは友達!」と認めているなら、それだけで十分すぎる証拠ではないか。ここにきて身も蓋もない話だが、思っているよりも事はもっと単純なのかもしれない。


考察は以上だっ!
どうだろう、少しはあなたを納得させることができただろうか。おそらく微妙だろう。それもそのはず。はじめにも言ったが、これは現代を生きる我々の永遠のテーマ。凡人の主がちょっと考えたぐらいで解決するわけがないのだ!

ただ、この手の答えの分かれる問いって面白いよね!っていう記事でした。

ぜひ、コメントなり直接なりであなたの意見を教えてほしい!

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