金木犀の香りも徐々に消え去り、街には過激な寒さと少しばかりの賑やかさがやってきた。
まずは今年もこの季節を迎えられることに感謝したい。
冬。最も気温が低く、それでいて人の温もりで暖まるものとそうでないもの体感温度の差が途上国の貧富の差の如く広がる時期。
結論から言えば、私はこの浮かれた季節が嫌いじゃない。否、嫌いでないと言い聞かせているだけかもしれない。
みなが見つめるのはただ一つの日時――12月25日。
生と性が交わる夜、クリスマス。
輝くイルミネーションが照らすのは暗く沈んだはずの街と、歩く恋人たちの艶めかしさ。だが、光が強ければ強いほど、その背後に伸びる影もまた濃く、そして冷たい。
いつからだろう。恋人がいないという事実を、あたかも己の誇りであるかのように振りかざすようになったのは。
いつからだろう。賑やかな街を、あえて独りで歩くことに興奮を覚えるようになったのは。
朝起きることはできず、学校へ通うことも叶わない。最低限の「人間らしい生活」を営む資格すら失った私。片や世間は見えやしない愛だ恋だにうつつを抜かすのだ。
去年のクリスマス・イヴ。
私が手を繋いでいたのは、愛した人でなくの単語帳だった。家に帰っても独り。両親も、妹も、弟も、誰一人いなかった。理由は聞かなかった。聞けなかった。そんな私を癒し抱きしめたのは、2つのASMR作品だけだった。「限界社畜OLの同期ちゃんが優しくえらいえらいしてくれる金曜日…【CV.安済知佳】 」「お昼寝大好き部長さんと一緒にまったりお昼寝効率研究会【CV.羊宮妃那】」
彼女たちに甘やかされることで私の聖夜は幕を閉じたのだった。
違和感。
気づいている。
本当は愛を渇望していることに。
そうだ、私は今年もまた、あのくだらない「クリぼっちアピール」という名の鎧を纏うだろう。それが虚勢だと分かっていながら。それでも、いや、そうすることでしか平静を保てないのだ。
今日も私はここで生きていると叫ぶ。朝は起きれないが生きている。薔薇のように痛々しいこの文章こそが、私に残された唯一の存在証明なのだから。
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