【探しています】

日常

先日、エニアグラムなる自己診断をさせられた。
以下、診断結果である。

『うつうつとして気分の晴れない変わり者』

さて、この一文を見て主のことをズバリ言い当てていると考えた大馬鹿者は正直に名乗り出て欲しい。ちなみに、33人もいてこの結果が出たのは主だけであった。
中には、主にこの診断結果が出たことがどうも愉快らしく『主の不幸せが1番の幸せ』とか言うしずかちゃんパパもドン引きの発言をした者までいた。

(『ドラえもん』より)

悔しいながら、主自身も図星を言い当てられたようで反抗しようがないのが正直なところでもある。

だが、ここで一矢を報いたい。
果たして診断結果が示す先は本当に主なのか、と。

イフェクサーとレキサルティ

こんな主にもかけがえのない存在が二粒ほど存在する。
それが『イフェクサー』と『レキサルティ』という二種の抗うつ薬である。彼らの主な効果は、脳内の神経伝達物質(特にセロトニンとノルアドレナリン)の働きを高めること。それすなわち、欲求や感情そのものを生み出すことである。「薬なんかで気持ちをコントロールできるはずない」とよく言われるのだが、薬でコントロールしているのは気持ちなんかよりもっともっと手前の『気持ちという成分をつくり出す部分』なのだ。彼らがいなくなろうものなら、消えるのは元気でも感情でもなく感情を生み出す工場。万に一つもラムネで代用できるような代物ではないのである。

副作用

表裏一体。光り輝くほど濃くなる影。
美しき彼らにも暗い一面が存在する。それが副作用だ。
抗うつ薬には副作用が必ずつきまとう。無論、私が服用しているものもだ。多種多様な体調不良を引き起こしてくれるわけであるが、そのうち最も主が忌み嫌うのが『躁転』である。

躁転とは、超簡単にいえば『明らかに異常なほどテンションが高まること』。
そう、散々誤解されているが、主は決して躁うつ病(双極性障害)ではないのだ。躁なのはあくまでも薬の副作用に過ぎない。

加えて『躁的防衛』という特性が主には強く働く。不安や悲しみ、絶望などの耐え難いネガティブな感情を無意識に避けるため、過度に明るく振る舞ったり、活動的になったりする心理的メカニズム(防衛機制)である。

これらが掛合わさることによって、いつものやかましさが完成するわけだ。

行方不明

さて、本題に戻ろう。
生前の主を知っている者はみな口を揃えて、「人が変わった」と主を指して言う。
自覚は嫌というほどある。そりゃまぁ自分のことだ。以前の自分がこんなに脊髄反射でペラペラといることいらないこと(いらないことが9割)を喋る人間でなかったことぐらい分かる。先に言っておくが、『薬のせいで性格が変になった!だから迷惑かけても許して!』なんてことを言いたいのでは全く無い。いつも言っているが、他人からの評価はその人の前でどう振る舞ったかが全てである。実はこう思っていた、本当はそんなつもりじゃなかったなどという言葉は何の意味も持たない。問題は人が変わったことより他だ。

薬を手放せなくなってからというもの、主の中で消せない問いがある。

本当の自分はどこにいるのか。
薬を飲んだ自分。薬を飲んでない自分。その狭間。
いったいどの地点の自分を自分として認めてやればいいのか。前者だとしよう。その自分の根源は薬のもたらす、本来あるはずもない大げさなエネルギーである。後者だとしよう。その自分は何の気力もわかない壊れかけの人形である。

では、うつうつとして気分の晴れない変わり者なのはいったい誰なのだろうか。

最後のピース

本当の自分など自分の中には存在しない。
これが己の問いに対する”現状”の答えである。

そもそも、『これが自分だ』とはっきり言い切れる人のほうが少ないだろう。せいぜい、ななまがり初瀬ぐらいしか思いつかない。そして何より、自分の存在を認めるのは自分じゃない。自分以外の全てだ。思い描く自分の形はある。理想の形に近づこうとする。けれども、浮かび上がる形は後にならないと分からないはずだ。
例えるならば、自分とはパズルのラストピースに近いかもしれない。無数の形のうち、どれが残るかは分からない。周囲のものと関わって盤面は埋まってゆく。そうして最期に残った空白。それこそが本当の自分なのかもしれない。形を決めるのは穴じゃない。まわりに何を置いたかだ。

とすれば、やるべきことは一つ。
不安定だろうと、多少やかましかろうとも、周りにいてくれるものと繋がろうとすること。これだけが自分を自分へと導いてくれるはずだ。薬もラグビーも私の不幸が幸せなヤツも、盤面を担うピースなのだ。

コメント