先日、友人がカラオケで西野カナを歌った。
上手かった。感情がこもっていた。彼女の声は会いたくて、会いたくて、震えていた。主はその横でウーロン茶をこぼした。彼女の想いとウーロン茶の固有振動数が一致したのかもしれない。
以来、西野カナがマイブームである。
通学中に聴き、風呂で聴き、部車で聴き、歌詞を読み込んだ。そして気づいてしまった。
この歌に出てくる男、見たことがない。
というわけで、今回は「恋愛ソングに登場するキラキラ男性の存在」について考察していく。
恋愛ソング界における理想男性の生態調査
以下、調査結果一覧。
『会いたくて 会いたくて/西野カナ』
彼は会えないだけで想い人を震わせる。振動の強度としては物理的距離と想いの強さによって変化する。公式としては『私の振動』=『彼と私の物理的距離』×『私の彼への想い²』といったところだろうか。ー[a]
『Darling/西野カナ』
テレビをつけたまま寝る。靴下を脱ぎっぱなしにする。生活能力は低い。しかし、そのだらしなさが「かわいさ」に変換されている。普通なら怒られるだけの生活態度が、好きな人フィルターを通すと愛すべき欠点になる。恋愛とは、家事能力の欠如をチャームポイントに誤変換する装置なのかもしれない。ー[b]
『トリセツ/西野カナ』
ここで男は、彼女という精密機器の使用者として登場する。記念日を忘れず、不機嫌の原因を雑に処理せず、定期的な愛情表現を怠らないことが求められる。要するに、恋人というより保守点検業者である。ー[c]
『もしも運命の人がいるのなら/西野カナ』
理想の男はさらに抽象化される。公式紹介でも、この曲は「まだ見ぬ『運命の人』に対する“理想や夢”と“現実”」をコミカルに描いた楽曲とされている。つまり、ここにいる男は、もはや個人ではない。条件の集合体である。恋愛市場に漂う要望書である。ー[d]
『カブトムシ/aiko』
少し背が高く、声に癖があり、その存在だけで季節や匂いや体温の記憶を発生させる。彼は何かを誓っているわけではない。ただ、そこにいるだけで人生の記憶に永久保存される。ー[e]。
『CHE.R.RY/YUI』
返事を待たせる。絵文字を通じて感情を揺らす。彼の本体は画面の中にある。厳密には男そのものではなく、男から来る通知が恋の中心である。ここではスマホが震えることによって、心も震える。西野カナでは身体が震え、YUIでは端末が震える。二〇〇〇年代恋愛歌詞における震動現象の変遷として、今後の研究が待たれるー[f]。
『片想い/miwa』
彼は残酷だ。なぜなら、何もしていないからだ。優しくしたわけでも、告白したわけでも、傷つけたわけでもない。ただ、横顔を見せ、声を聞かせ、視線を合わせただけで、相手を切なくさせているー[g]。
『Aitai/加藤ミリヤ』
彼には別の誰かの気配がある。それでも、好きな側は離れられない。ここで描かれる男は、理想の彼氏というより、依存と未練を発生させる重力源である。近づけば傷つく。だが遠ざかれない。彼の前世はブラックホールに違いないー[h]。
『First Love/宇多田ヒカル』
彼は記憶の中にいる。過去形で存在し、匂いと痛みだけを残して消えている。ここまでくると、男は人物ではなく、人生に刻まれた傷跡である。恋愛ソングの男は、現在隣にいるより、失われた後の方が輝度を増すらしい。ー[i]
まとめると、女性アーティストの恋愛歌詞に出てくる男は大きく四種類に分類できる。
①生活能力が低い。
②存在だけで想いを加速させる。
③過去になってから完成する。
④振動の発生源。
いずれも現実での目撃情報は少ない。
生態モデルとしてはツチノコに近しいといえる。

理想男性の不在
問題は、理想の条件を書き出してみると大したことをしていない点だ。
連絡をくれる。記念日を覚えている。隣にいる。たまに笑う。寝起きの声が少し低い。靴下を脱ぎっぱなしにする。
全部できる。主でもできる。なんなら靴下については片付けられる。
なのに世間では「そんな男いない」と言われ続けている。なぜなのか。

感情の不在
キラキラした男がいないかもしれない、それはいい。
本当に恐ろしいのはここからだ。
あの感情を発している女性も見たことがないのである。
現実の恋バナを思い出してほしい。
「まあ、優しいし~」
「条件的にはありかな」
「とりあえず付き合ってみてから考える」
実務的である。湿度が低い。
会いたくて震えている人間がどこにもいない。
不在は二重である。
これらの歌詞は、実在しない男に向けられた、実在しない感情を歌っている疑いがある。
一体、何と何が共鳴しているのか。あの時こぼれたウーロン茶はなんだったのか
仮説
二重の不在についての仮説は二つある。
【仮説A】
見えないだけ説。
感情は実在するが、外から観測できない。キラキラは本人たちの内側で完結しており、部外者には伝わってこない。
【仮説B】
そもそもフィクション説。
感情そのものが実在しない。あの歌は恋の記録ではなく、「こんな恋がしたい」という願望の記録である。聴く側も、恋の記憶ではなく、恋への憧れで泣いている。
主は仮説Bを推したい。
推す理由も明確で、Bなら先ほどの差別が解消されるからだ。
誰もあの恋をしたことがないのなら、経験の有無は関係ない。
全員が「したことのない恋」を追体験しているだけなら、むしろ未経験者こそ、実体験という雑念のない、純度の高いリスナーである。感動の輪に、堂々と加わってよい。
ただし、仮説Aは潰せない。
他人の内面は観測できないからだ。観測できないものについて「いる」「いない」と論じるこの構図は神の存在証明に似ている。つまり、キラキラした恋とは、信じる人の中にだけ実在するタイプの存在なのかもしれない。

恋愛ソングの差別
ここで一つ、個人的な訴えを挟みたい。
恋愛ソングは共感装置である。
「わかる」で泣かせる、感動させる仕組みだ。
だが、共感には元手がいる。恋愛経験という元手が。
つまり、恋愛経験の少ない人間は、世にあふれる名曲の恩恵を受けられない。
皆が自分の青春を再生して泣いている横で、再生するデータがない。私にできるのはウーロン茶を飲むことだけだ。
これは差別ではないのか。
音楽は万人のものではなかったのか。
通信機器の機会の不平等は問題になるのに、恋愛ソングで感動の機会の不平等はなぜ国会で騒がれないのか。
『では、恋愛をすればいいのでは?』
不毛。私には片付けなければならない問題が山積みなのだ。食事、睡眠、お金、健康、紛争、差別、飢餓。
結論
キラキラしたイケメンは存在するのか、まだわからない。
だが、女性アーティストの恋愛歌詞を調査した結果、確認できたのは、理想男性の実在ではなく、理想男性を必要とする感情の強度であった。
ただ、調査の果てに一つだけ確かな結論が出た。
私もこんなにもキラキラした感情を向けられたい。
会いたくて震えられたい。
取扱説明書を手渡されたい。
スマホの通知だけで一日を支配したい。
季節の匂いとともに生涯忘れられたい。
過去になってからでもいいから、First Love枠に入りたい。
今日に実在するかどうかは、この際どうでもいい。
主が最初の例になればいいのだ。
参考文献
[a]西野カナ「会いたくて 会いたくて」
作詞:Kana Nishino・GIORGIO 13、作曲:GIORGIO CANCEMI、2010年5月19日発売。
[b]西野カナ「Darling」
作詞:Kana Nishino、作曲:Takashi Yamaguchi、2014年8月13日発売。
[c]西野カナ「トリセツ」
作詞:Kana Nishino、作曲:DJ Mass・Shoko Mochiyama・etsuco、2015年9月9日発売。
[d]西野カナ「もしも運命の人がいるのなら」
2015年4月29日発売。
[e]aiko「カブトムシ」
作詞・作曲:AIKO、1999年11月17日発売。
[f]YUI「CHE.R.RY」
作詞・作曲:YUI、2007年3月7日発売。
[g]miwa「片想い」
作詞・作曲:miwa、2012年2月1日発売。
[h]加藤ミリヤ「Aitai」
作詞・作曲:Miliyah、2009年7月8日発売。
[i]宇多田ヒカル「First Love」
作詞・作曲:Utada Hikaru、1999年発表。

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