『もしも合コンにラグビーの競技規則が採用されていたら。』

「~ってことがあったんよ!」

「やだもう!おもしろすぎ!」
(笑いながら、Aくんの膝に触れる)

ピーッ!(笛の音)
『オーバーザトップ』
(※相手側に倒れこんでボールが出るのを妨げる反則)
明らかに相手側に倒れ込んでおり、自立できていませんでした。
というわけで、久々に主とラグビーに関する身の上ばなしだ。
今回は、主の役職である「学生コーチ」について少し話そうと思う。

1.出会い
そもそも主はなぜ、学生コーチなんていう珍しいことをやることになったのか。
はっきりいって主自身もはっきりは覚えていない。というのも、事はあまりに一瞬だったのだ。
今となっては知らない人も多いだろうが、主は元々分析スタッフとして入部した。ある日、まだおぼつかない手つきでビデオを取っていると、「主、チームランの笛吹いてよ」とヘッドコーチ(今はなき)と先輩学生コーチ(今はなき)が声をあげた。
「?」
傾けた首は傾きすぎて一周回った結果しっかり座っていただろう。当時の主の脳内メーカーは中心のHを囲う果てしない疑問符に覆われていたに違いない。なぜだか彼らの中で主は本当は分析じゃなくコーチをやりたい的な認識になっていたらしい。
なにせあまりに唐突、かつ日本人の良くないところを持ち合わせた主は断るわけにもいかなかった。
こうして私のコーチライフは幕を開けたわけだ。

2.挫折
後悔。
学生コーチになってしばらくの間、これを怠った日はなかった。それは主にとってあまりにもいばらの道だった。そりゃもうワークマンの安全靴を履いたとしても足が血だらけになる程度には。
人に何かを教えるには、教える側が教えられる側よりもそれについて知っている必要がある。これが極めて困難だった。方やラグビー経験2年ポッチ、おまけに2年弱のブランク付きだ。方や全国レベルがうじゃうじゃいる魔境。コーチとしての成功や自信など存在するはずもなかった。オタクに優しいギャル、あるいは国民を第一に考える政治家とでもいったところだろうか。毎日が精神を爆発させる花火大会だった。コーチングもレフリングも失敗の連続(それは未だに変わらないが)。根拠のない見様見真似のセリフや笛を発するだけの日々だった。何より、自分の能力不足で練習の質が下がることがしんどかった。
なんだか苦労自慢のようになってしまった。
だが、そんな日々でも、続けていることで(不定期休暇あり)少しずつ学生コーチという存在のヒントが見えてくるのだった。

3.わずかな成長
きっかけは分からない。強いて言えばわずかながら積み上げた経験だろうか。
まず一つ。コーチとは決して「一方的に教える者」ではないということ。
次に、自分が学ぶべきは「ラグビー」ではなく、「このチームのラグビー」だということ。
そして、自分はラグビーのコーチというフィールドにおけるチャレンジャーなのだということ。
己の中のコーチという固定観念に囚われなくなった。
自分がやるべきは「挑戦し続けること」、そして「このチームのラグビーをわずかでも支えること」ではないかと。そう考えるようになった。
かといって、自分の能力が飛躍的に上がった訳では無い。依然として失敗続きの日々だった。
けれども、学生コーチであることが少し楽しくなってきたのは間違いなかった。


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