アスファルトを乱雑に打ちつける雫とは裏腹に、的を狙う私の矢は冷静に一点だけを狙い続けていた。
唐突に与えられた丸1日のオフ。私は夜通しダーツを投げると決めた。快活CLUBにある4台の機械には、左から向かって2-2-2-1のフォーメーション。醜い配置だ。これでは全盛期のバルセロナだって勝つのは困難だろう。オマケに各2ペアのコンビネーションは抜群に見える。なにせ互いの肌と肌が触れ合っていない時間の方が短いのだ。私がこの日執念で入れ続けた338本のブルよりも彼ら3組のキスの回数の方が多いかもしれない。なお、キスをなんという単位で数えるべきなのかはした事が無いため分からない。

ここでふと頭をよぎる。
「本当にダーツを楽しめているのはどちらなのか」
確かにダーツでより高い点数を出せるのは僕だ。より狙った所に矢を飛ばせるのも僕だ。だが、マイダーツを買ってからというもの、ただ相手より高い点数を出すこと、ただレーティングを上げること囚われていたのかもしれない。

彼らが投げる矢はバラバラだ。ちょっといいところを見せたい彼だってブルに入ることは稀だ。それでも、一投一投の行く末に一喜一憂し、笑いあったり抱き合ったりするその姿にこそ、まさしくダーツという遊戯の原風景を見た。ダーツというのは人を殺すための道具じゃない、心と心を通わせるための手段なのだと。
彼らの投げるダーツはそんなとても簡単で自然な、しかも最近では忘れかけているようなことを思い出させてくれた。
そうして問いは生まれる。
「心を通わせる相手がいない僕は、何のためにダーツを投げるのか」
また1本、静かに矢が刺さった。

コメント